[近代、村人の夢枕に立った亀]

浦島太郎が帰郷してから三年後の西暦7906月中旬、太郎は愕然とする報告を受ける。当月13日に粟島の海岸に大きな亀の死骸が打ち上げられたというのだが、その亀の特徴が自分を竜宮城へ連れて行ってくれた亀と似通っていたのである。

早速太郎は粟島に渡り、その死骸を確認したのだが、それはまさしくあの亀だった。太郎はもうこれで二度と竜宮城へ行くことができなくなると落胆した。

 

太郎は死骸の打ち上げられた浜に亀を埋葬し、一部分骨して箱峠側の「大空」にも祠を建て、日参した。亀の墓は後に亀戎神社という祠(上の写真)になり、大空の祠は丸山島と同様、竜王社となった(下の写真)。

太郎は村の子供たちを大空へ集め、竜宮城での出来事を聞かせると共に竜宮城で見た「竜宮踊り」を披露した。

 

後世、箱地区の村人が各戸から割木を持ち寄り、祠前で焚き上げ、旧暦613日に竜宮踊りをして太郎と亀の霊を慰めるようになったが、これが現代に続く814日に行われる箱地区の盆踊りになっている。

 

太郎と村人との交流はあったものの、太郎はこの世に自分を知る者が一人もいないことを憂い、ある日、玉手箱を抱えて彷徨うように両親の墓所(下の写真)へと向かった。そして夕刻、墓前で玉手箱を開けてしまう。玉手箱を開けたことから、そこの地名が「箱」になった。

 

玉手箱から湧き上がった白煙は太郎を包んだ後、東方の紫雲出山(下の写真)へと上って行き、雲になり、夕日を浴びて紫色に染まったという。

太郎から白煙が消えると、その姿は老人になっていた。

その後、太郎は遠い身寄りを頼って母の里、仁老浜で余生を送るようになる。「仁老浜」の地名は「仁徳のある老人の太郎が暮らした浜」という意味。

 

それから幾年か後の315日、太郎は己の寿命を察知し、両親の墓前に来て永眠した。太郎の魂は紫雲出山北面中腹の「上天」から昇天したという。後にここにも大空と同じ竜王社の祠が建立され、太郎の命日に例祭が行われるようになった。

 

それから一千数百年経った近代のこと、粟島の下新田の漁師・益田房吉の夢枕に亀の霊が立った。霊が言うには、台風によって亀戎神社付近の土砂が流失し、自分の遺骨が地表に出ているから修復してほしい、とのこと。更に霊は祠の地下を掘ると御神体があるという。

 

そこで房吉が祠の地下を掘ってみると、亀の姿が刻まれた長さ4cmほどの真鍮が出て来た。房吉は島民から寄付を募って神社を修復し、真鍮の御神体は自宅の床の間に祀り、信仰し、豊漁を続けたという。

これが荘内浦島太郎伝説のあらましである。

 

<伝承地への行き方>

(1)  亀戎神社

粟島港から海岸沿い道路を南へ10数分ほど。現地に手書き標識あり。

 

(2)  姫路

亀戎神社から南へ進み、島の南端の集落に到るとすぐ西の尾根を越える峠道(コンクリート歩道)が現れるので、その峠を越えて竹ノ浦集落へと下りる。海岸沿い道路を回るよりも近道。

 

一軒以外空き家となった竹ノ浦集落中央を南北に走る歩道を北上して行き、集落を抜け出た所の15番霊場石仏がある道に左折する。ヤブをかき分け、植林帯に入り、右足元地面に二つ目の井戸を過ぎた先で、西側の猛烈な竹藪の倒木帯に入る。

倒木帯を抜け出てから右手に二体目の霊場石仏が現れた地点付近がY字路になっているのでこれを下りる。この道も向きが北に変わると倒木帯になるので、適当に斜面を下り、浜へ出る。

 

粟島については城山や阿島山、機関車先生のロケ地、漂流郵便局、詫間海軍航空隊に所属していた予科練生関連地、藤井フミヤゆかりの地等を巡るトレッキング&ハイキングコースをヤマケイに投稿しているので参照されたい。→スクリュー島の二山

 

(3)  大空の竜王社と箱峠

竜王社は紫雲出山箱峠登山口北側の広場奥にあるが、御神体は撤去済。現在は立入禁止ロープが張られている模様。そこは旧箱浦小学校跡であり、且つ、映画「きな子」の番場警察犬訓練所のロケセットが組まれた地。

また、箱峠(下の地図)は太郎が新屋から箱崎方面に行く際、何度も越えた峠。

 

(4)  太郎の腰掛け石

太郎が仁老浜と室浜を往復する際等に腰掛けた石(最後の写真)。糸の越バス停西のY字路にあり、隣に太郎の石像がある。

 

(5)  太郎と両親の墓

以前、紹介した箱崎にある。箱浦ビジターセンター南方の浦島公園西端。

 

尚、上天については未探訪だが、積の茂広辺りに登山口があるのではないかと思う。

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