[古文書に残る浦島屋敷]

香川県三豊市仁尾町家ノ浦に生まれた漁師・与作は独り立ちした後、同市詫間町生里(なまり)北部に移り、そこで生里仁老浜(仁呂浜・にろはま)の「しも」という美人を娶った。

間もなく二人の間には男児が誕生、「太郎」と名付けた。太郎は母に似て美男で気立ての優しい男へと成長していく。

 

生里とは「太郎が生まれた里」という意味で名付けられた地名だが、去年、三豊市観光協会が発行した「浦島伝説ガイドマップ」に図示されている生里の場所は北部ではなく、仁老浜周辺を指している。これはこのガイドマップに於いて、他の伝承地の中にも誤った場所を図示しているものがあるように、観光協会自体、生家跡を把握していない可能性があるが、個人(生家跡の住人)のプライバシーを考慮して敢えて母の里の方を図示したことも考えられる。尤も、仁老浜は老人になった後の太郎の伝承地でもあるのだが。

 

太郎亡き後、生家跡は浦島屋敷と呼ばれ、跡地に建てられた民家は「新屋」という屋号で呼ばれた。これは与作の新たな家、という意味なのかも知れない。この地に伝わる古文書、通称「新田家文書」には先祖が浦島屋敷に家を建てたことが記されている。全国の浦島伝説地の中で荘内地方のものが最も信憑性が高い場所の一つ、と言われる所以である。

 

生家跡は三宝荒神へ上がる道沿いにある。荒神に最も近い民家である。探訪時、車は県道232号の生里バス停北東の仁老浜へ向かう道との分岐T字路角に駐車できるが、正月や大型連休時等は里帰りした者の車で満杯になるため、箱峠方面等に少し上がるかして適当な路肩を探すしかない。箱峠側にも太郎関連地(紫雲出山とは別)があるが、それは別の回に紹介したい。

 

生里バス停側の十字路から道順を説明したい。十字路を東に折れ、南東から北東へと進んで行くと、川の二又付近でY字路になる。その東上の旧家が新屋である。蔵のある豪家だが、門は閉ざされ、家屋の裏側の一部は崩れる等して人が住んでいる気配はない。但し、敷地内に車が駐車してあったことから、側に新宅を建てているのかも知れない。自治体か史談会的団体が看板や記念碑を建立するのが望ましいのだが。

 

尚、前述のマップには伝承地以外にも太郎関連の像やモニュメント、壁絵等も多数掲載されている。但し住宅街にあるものは駐車場所に困る。近くに駐車場があるものでは、「たくまポートメモリアルパーク」内の「コーサイ公園」(上の地図)に建つ太郎像が挙げられる。三豊市役所詫間支所北方のたくまシーマックス北側にある児童公園である。駐車場は公園のやや北方にある。

次回、いよいよ太郎は竜宮城へ。しかしまた伝説ガイドマップに誤りが・・・。

 

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